【平安末期】
〔国指定重要文化財〕
かつて伽耶院では、稚児参りの風習があったらしく、
「3つになったら稚児参り、大谷毘沙門福参り」
という俚揺が伝えられている。
【平安中期】
通常の不動明王(半眼、上下互い違いの牙)とは形が異なり、造りも素朴。
平成26年の調査で、平安中期の作と結論付けられた。
背後に付く装飾に、想像上の大鳥の神「迦楼羅(かるら)」が胴体まで表現されているのが見つかった。
通常は、火炎を口から吐く迦楼羅の頭だけ描かれることが多く、胴体まであるのは珍しいという。
室町時代に作られたとみられる。
【平安末期】
毘沙門天と大きさも作風も似ており、同一作者によるものではないかと言われている。
後世の修復があるので、文化財指定はされていない。
【江戸時代】